前週から続く、(株)TM Future 竹内美奈子氏によるブログ記事。暦本さんの世界観に迫ります。
BLOG8: 2016.3.30
「Human Augmentation」の先にある未来。そして、コンピュータと人間の未来。(後編)
暦本純一さん
<前編>では、ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)副所長であり東京大学教授でもある暦本純一さんが提唱する「Human Augmentation(人間拡張)」や「IoA(Internet of Abilities)」とは何か、そして、その研究にたどり着いた暦本さんのモチベーションやそのオリジンを探ってきた。さらに、本<後編>では、彼の思考様式や持ち味、そして、「IoA」のその先にある未来についても、解き明かしてみたいと思う。
教育者としての暦本さん、そしてそこに見える彼の思考様式とは。
現在、暦本さんは、ソニーCSLの副所長と東京大学大学院情報学環教授という二足の草鞋を履く。東大へは、あの坂村健教授からの誘いによる。東大が主務、ソニーCSLは副務だ。最初にソニーCSLでマネジメントの役回りが回ってきたときは、躊躇したという暦本さん。研究者として学生を指導するということについて訊いてみた。「学生の育成は人間的な成長プロセスを見ていくこと、そのこと自体は大変だが面白い、学生の研究を指導することを通して教育をし、教育といいながら自らも学ぶことが多い」という。少々優等生的な回答だが、実際にそうなのだろう。彼らの研究分野は、こんなことができたらという感覚的なものや、人とのインタラクションからアイデアが生まれることが多いといい、学生ともよく議論をする。一方で、ともすると難しく考え過ぎて壁にぶつかる学生たちには「機能や課題を100%積み上げるのではなく、一つそぎ落としても大丈夫じゃないか、それで突破口がないか」考えるよう指導するという。「万能を求めず、そぎ落とすことで前に進めないか」そう、次世代の背中を押す。自身、「完璧でなくたって、人が欲しいものは作れる」「人が言うことの逆、人と違うことを考えたい」という。トレードオフを考える、人の裏をかくという発想を常にしてきたし、ユニークであること、ナンバーワンより「オンリーワン」を志向してきたと自己分析する。
この思考様式も、ソニーCSLの文化や所さんや北野さんの思想と波長が合った大きな要因だろう。所さんからは「何でも好きなことをやっていいと言われた時に、価値のあることができるか。それが大事である。」という考えを聴き、その研究指導者としての思想に共感したという。また、北野さんがよく発する「君の人生だから、一度だけの人生だから、最大限の価値を出しているか?」という言葉、その思考様式とも共鳴している。「すぐに売れるものを作れ」と言われたことがないし、自身もそういう発想はしないという。
「IoA(Internet of Abilities)」のその先にある、「Open Ability」 (1)
スポーツやエンターテインメント、製造業や土木・建築、医療や救護の現場、そして伝統工芸などの世界においても、高度な能力をもつ熟練者のスキルや技能がその世界の技術を支え、種々の課題を解決する。「IoA」は、時間や距離の制約を超えて、人やコンピュータがそれらの「能力を持ち寄る」ことで、現実世界の課題に対しタイムリに最適な解決能力を結集する仕組みを提供する。問題解決能力を最大化し、その場にいる人だけでは解決できなかった(例えば原発問題のような)難題に対処できる可能性を高めることができるのだ。そのとき、コンピュータは各ノードに人間やモノを接続しうる、広大なセンサーネットワークとしてもその仕組みを支える。
そして、さらには、熟練者や伝統工芸などの技術や技能を次世代に継承していくこと、それもまた社会的要請がある。「IoA」は、時空を超えて能力を記録し、収斂させた形に加工(例えばコツを抽出しまとめるなど)し、より最適な組合せで再現可能にする。そのことで、熟練の技能の伝承や継承を支援することができる。少々飛躍するが、私たちはプロ並みの能力を記録したロボットやコンピュータにアシストされて、ゴルフのプレイやランニングができるかもしれないし、著名な書道家のような字が書けるかもしれない。このように能力を記録、共有できる形で表現、そしてそれを他者が活用できれば、いわゆる「能力のオープンソース化=Open Ability」が進むと暦本さんは言う。オープンソースがコンピュータの能力を飛躍的に向上させたUNIX第一世代のコンピュータサイエンス研究者、暦本さんらしいコンセプトメイキング(着想)である。「能力の記録、再利用や編集」による「Open Ability」が実現すれば、優れた能力を人類の共有財産にすることができる。これが「IoA」の究極の目的であると暦本さんは語ってくれた。これこそが、暦本さんにしか着想できない価値観であり、未来への貢献である。
改めて、暦本さんの最大の「持ち味」とは。
改めて、暦本さんが次世代に伝えるべき思想や能力、彼の最大の「持ち味」は何だろうか。私は、「Conceptual Thinking」であり、「Concept Making」こそが、彼の最大の強みであり、唯一無二ともいえる持ち味であるように思う。彼の思考様式である、先例に惑わされず、裏を読んだり逆説的発想をしたりすることで生まれる、新しい、だが、誰もが「そうだ、それだよ」「なるほど」と、膝を打つようなコンセプト。これが次々と生みだされてきたのが暦本ワールドなのだろう。「面白い」という言葉に隠れて産みの苦しみはあまり見せない彼だが、そのあたりはどうなのだろう? 彼の手法として、具現化し疑似体験させるシステムを作り、人がそれを使い楽しむ姿をみて発想を広げ、繰り返し検証し、それらを生み出してきたのだろう。
暦本さんの、その先に見える未来とは。
さて、そんな暦本さんの視界には、どんな未来がみえるのだろう。また、彼の研究はどのように次世代に引き継がれていくのだろうか。彼の研究の軸であるUIは、人間とコンピュータの接点でありコンピュータが社会にどんな影響を及ぼすかという界面を扱う。いわば、技術と人間のインタラクションを司る部分である。コンセプトとしてもテクノロジーとしても変化と発展を遂げてきたUI。そのインタラクショの未来はどう変わっていくのか。その問いに対して、暦本さんは、少し考えて、A.C.クラークの「未来のプロファイル」から有名な言葉を引用してくれた。『十分に発達した技術は、魔法と区別がつかない。』いわば「必要は発明の母」の逆張りである。人間が道具を発明したのではなく、石器(道具)によってそれを使う社会が構成されていく。それが彼の答えであり、そこが面白いという。コンピュータサイエンスが原理的にものの考え方を変え、社会の原理を変えていく、そんな未来。既に、自動運転の技術は、車の概念を変え、人の移動シーンを変え、インフラを変え、社会や価値観を変えていくという兆しを見せている。
一方で、コンピューティングがわからないと、人は社会設計ができない、政治家にもなれない。そんな「読み、書き、(そろばん)、コンピュータ」の時代に入っていくと彼は見る。これも他国(シンガポールの経済産業省大臣など)では既に実証され始めている。社会とコンピュータ、人とコンピュータが密接に絡み合い連携しながら、世界が変化、発展を遂げていく。そして、また新たなコンセプトのUI、インタラクションが生み出されていく。
更に、もはやAIの発明者やコンピュータサイエンス研究者の当の本人たちが思ってもいない社会や未来が作られていく。そして人の尊厳や幸福を満たしていく。研究とはそうあるべきだと暦本さんは言う。むしろ、研究者の予想した思ったとおりの進化では「面白くない」。まだまだ掘ることのできる面白さ、「わからなさ」が続くことの面白さ、「まだ先がある感」が、限りなく面白い。そういえば、昨年のオープンハウスのスピーチで、彼は「アジェンダがあり過ぎるほど山積している」そう語っていた。
だから「面白い」。日本のコンピュータサイエンス研究の最前線にいる彼からこの言葉が頻発され、いかにも楽しげに「わからなさ」が語られる。それが、暦本さんの、社会とコンピュータ、人とコンピュータの未来予測だ。
参考文献:
1) Perspective論文「IoTからIoAへ、人類を拡張するネットワーク」暦本純一著 日経エレクトロニクス
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