(株)TM Future 竹内美奈子氏によるブログ連載。今回はOES Projectのキーメンバーの一人である徳田佳一氏を取り上げていただきました。
BLOG6: 2016.2.15
「サステナブルなエネルギーシステム」を、世に届ける。
徳田佳一さん
ソニーCSLが取り組む「OES(オープンエネルギーシステム)」プロジェクトの事業化に向けた執行責任を担うのが、徳田佳一さんの現在のミッションである。
きっかけは、2009年に遡る。
ソニーがオフィシャルパートナーを務めた2010年FIFAワールドカップ。サッカー人気が高いはずのアフリカでも、自国の試合の観戦ができない「無電化地域」がある。元々は、そんな無電化地域で子供たちに自国のサッカーの試合を観せたい、そのために「パブリックビューイング」を実現しようというJICA(国際協力機構)との共同プロジェクトを企画したことが契機であった。当時、徳田さんは、ソニー㈱のクリエイティブセンターに所属、CSR的なプロジェクトとして“サポータシップ・プロジェクト”の企画・実行に携わった。その後、ガーナ各地でパブリックビューイングを展開するために、ソニーCSLの吉村さん、田島さんらメンバと共にソーラーパネルと蓄電池を携え、現地に足を運んだ。約1か月に渡り無電化地域を回り、そこで2010 FIFAワールドカップのライブ・パブリックビューイングを実施、スクリーンを見つめ歓声を上げる子供たちの姿を目の当たりにした。
その経験が、さらに、JICAのBOP (Base Of the Pyramid) 協力準備調査のフィジビリティスタディの応募へと彼を突き動かし、2011年から2013年の「無電化地域のオフグリッド電化」プロジェクトのJICAからの採択につながった。いずれも、プロジェクトの実行部隊として現地に入り、現地の人たちでオペレーションができるように、装置をくみ上げ、技術や操作を伝え、運用を指導し、そして見守る。OESによる電力供給サービスなどの現地でのボトムアップ型事業の可能性を探ってきた。研究所員とアフリカ・ガーナの無電化地域の人々。一見似つかわしくない景色のように思える。徳田さん自身は、ガーナでの生活や共同作業には、何の違和感もなく、すぐに馴染んでいったという。それでも、想定外の反応やシステムトラブルなどは日常茶飯のように起こる。それら一つ一つに対応し、問題を潰しながら積み上げてきたもの、そこで経験したトラブルシュートや築いた人間どうしの信頼、キーパーソン(ここでは学校の先生や酋長である)との関係構築が、プロジェクトを成功に導いていく。突発事項が起こらなければさしてやることのない昼間は、現地の日本人パートナーと一緒に各地の無電化の村を探索した。3年で13回、ガーナ国全10州のうち9州を訪れたという日本人も、徳田さんくらいかもしれない。
このフットワークと適応力、フィールドワークを積み重ねてきた経験値が、彼の強みとなった。
予め用意された台本が当たり前のようにどんどん変わっていく現場では、その場でのissue finding力や臨機応変力が試されたはずである。「無電化」地域といっても電線がないだけであり、電気を使わないわけではない。電化製品、例えばテレビも乾電池式のものが流通しているという。昨今は携帯電話の普及が著しく、それらの充電のために彼ら村民は村を渡って出かけていくのだという。表面的、断片的な言葉やメディアからの情報を聴くだけの私たちにはわからない、現地での当たり前の生活。
そこで、徳田さんたちは、再生可能エネルギーによってどう電力供給ができるか、さらには「充電のサービス」などが、現地の自立したビジネスとして成立しうるかを模索し、オペレーション実験に取り組んだ。そして、彼は、こういったプロジェクトを長期的な視点で継続していくには、「ソニーCSLでないとできない」と、ソニー㈱からソニーCSLに軸足を移してくる。(2011年10月頃)
歴史を紐解くと、小さな(実は大きなとなるのだが)決断が、プロジェクトや事業、ましてや世の中を変える技術の生き死にやその後の展開を、大きく左右することがある。単にCSRでは終わらない、又、研究や技術開発だけを行うのでもない、現地でフィジビリティスタディを重ねビジネスや事業を想定した、彼ら独自の「プロジェクト」活動のサクセスドライバーが回転し始めた瞬間かもしれない。
そんな中、2012年から、沖縄科学技術大学院大学(OIST)でのプロジェクト(亜熱帯・島しょ型エネルギー基盤技術研究補助事業「オープンエネルギーシステムを実現する分散型DC電力制御に関する実証的研究」)が沖縄県の採択を受け、スタートする。昨年のシンポジウムでも発表のあった、OISTキャンパス内ファカルティハウス(19戸の住宅)で稼働中の、電力需給システムDCOES(DC-based Open Energy System)の実証実験である。再生可能エネルギーを主電力源とし、その不安定性を克服し安定的電源供給の可能な超分散型でダイナミックな再構成可能自律型システムであり、小規模分散した住宅を発電所として電力相互融通で需給調整を行う、「地産地消」の双方向ボトムアップ型システムである。系統連系、同時同量、売電の発想、交流という従来の常識を、悉く発想転換したシステムを構築し、約1年間の実証実験をパートナーと共に成功させた。約1年で(現段階での)OESの理想とするコンセプトを集大成させたシステムを企画・設計・実装し、そして1年間動かすという目的を達成し、実証実験としては一区切りの完成度に達した。
これからは、これをどう「実用化」「事業化」していくか、それが彼のミッションである。
既に沖縄でのOISTのお披露目以降、数々の引き合いも来ているという。エコキャンパスやエコタウン、災害多発地域、離島等々、それぞれ目的により色彩の異なるプロジェクトが早々に立ち上がっていくだろう。それらの研究企画書作成、コンセプトから実装までの全体構想やデザイン、パートナーとのアライアンス、オペレーションのスキーム作りなど、R&Dの要素と事業としての要素、その両輪を回すことが徳田さんの守備範囲となり、新たなチャレンジとなる。
話を転じ、「ソニーCSLのなかで影響を受けた人」を訊いてみた。
所さん、北野さんからはOESを展開する際に、そのコンセプトや基本的な考え方を直接学んだという。ガーナプロジェクトがスタートし始めた頃に、所さんからは「すぐに儲かる領域ではない、現地の人に喜んでもらい、少しずつ自分たちが儲かればいい。」と言われ、本テーマの長期的視点とビジネス視点に対して、教示を得た。自らも深くエネルギー問題にインボルブする北野さん。彼からは、突然「ドラフト」と称する難解な資料が送られてくる。それを何度も読み解き対話することで、吸収するものが多かったという。また、ガーナで3年間のパートナーであった、スーパーエンジニアの田島さん。日中は外にも出られない灼熱のアフリカ、マッシュルームハウスで、大工仕事からソフトウェアまで、そして、生きる力ともいえる問題解決能力を、直接手ずから教えてもらったことは大きかったという。日本から遠く離れたアフリカ・ガーナの小さな村でこその濃密な時間。多彩(&多才)なタレントを擁し、「越境し、行動する研究所」ソニーCSLならではの逸話である。
さて、言うまでもなく徳田さんがチャレンジする分野は、電力需給システムという、社会インフラの領域である。東日本大震災を境に、多くの常識が覆り価値観が大きく変容を遂げた。この領域での新しいシステム提案は、当然ながら時代の変化の要請を受ける。一方で、巨人である電力会社や重電メーカーなどの、既得権益や積年のビジネスモデルが根付き支配してきた分野でもある。その分野で、各メーカーと電力会社とが組むスマートシティやスマートグリッド関連のプロジェクトも多数存在しており、一方で、シミュレーションで留まっている研究も数多いように見える。徳田さん曰く、誤解を恐れずに言うならば、自分たちは電力会社を駆逐するのが目的でもなければ、ビッグバンを目指しているわけでもない。ただ、50年先100年先を見据えた「真にサステナブルなエネルギーシステム」を実現することが自分たちのミッションである。そのために世の中に役立つ技術開発を行い、時代や社会の状況に適合した形で提供していくこと、即ち、R&Dを進めながら実態のあるものを世に出していく、そしてオペレーションに至るまで経験を重ね、磨いていく。その実証を地道にやっていくこと。そして、それを「事業」にする。
恐らく、再生可能エネルギーの活用、地産地消(完全自給自足ではない)や、ボトムアップ的なアプローチは、時代が追い風になるだろう。電力会社のようなクローズドではないよりオープンシステムの方向へ、そして、分散型や自立&自律したシステムという方向性は、コンピューターサイエンスを基軸に持つソニーCSLとしての強みを発揮できるモデルとなる。
改めて、彼の役割やミッションに対する考えを訊いてみる。「今後注視すべきは、エネルギーの経済モデルや価値観の変化であり、そのなかでOESをどんな社会資産のモデルとして提言していくかである。現在の経済モデルの延長戦上で考えるつもりはない。」と、徳田さんは言う。また、「今のDCOESを唯一無二のOESシステムとしない、敢えてこれしかないと可愛がり過ぎない、また、これを売らんというだけのビジネスモデルではいけない」とも、自身に言い含めるように、彼は話してくれた。
以前、北野さんが「大阪大学超域イノベ―ション博士課程」の履修生からのインタビューの際におっしゃっていた、「ミッションで仕事をする」この言葉を思い出した。「ミッションで仕事をする」。技術や手段、ましてや人に拘り過ぎると、サステナブルでない。同じく大阪大学での超域スクールでの「サステナブルであるスキームを徹底的に考える」。これも、北野さんから受け継がれているようだ。まさに、今それを体現する徳田さん。おそらく日頃指導を受けているが、事細かにそう言われたわけではないだろう。インタビュー中、徳田さん自らのissue finding能力の高さに、何度も舌を巻いた。
そして、そのミッションの達成のために、現状のモデルに拘らず、研究開発、構築から運用までの実証、そして経済モデルや社会モデルの構築といった、域を超えた(Act Beyond Borders)広く長い視点でのテーマであることを強く認識し、その「覚悟を持って取り組む」。そこに、「越境し、行動する研究所」というソニーCSLの理念の先鋒たるプロジェクトを率いる徳田さんの立ち位置がある。社会や経済を洞察し、スケールを広げながらも、階段をどのように上がっていくのか?そこにどんなチャンスがあるのか?そして、どんな流れをつくっていくのか?まさに、鳥の目、虫の目、そして魚の目で、「事業」を創る。一方で、ガーナにはやり残したことがある。彼ら自身が自立してできるビジネスにまでまだ昇華できていないままになっている。そういわれた徳田さんの視界には、この先どんな、次世代のエネルギーシステムやモデルが見えてくるのだろう。アフリカ・ガーナの子供たちにも、再び新たな未来が届けられることを、改めて、願いたい。
This article is available only in Japanese.