2022年 12月 13日、14日(水)の2日間に渡りソニーコンピュータサイエンス研究所 京都研究室で開催した「Research Fair 2022」のレポートをお届けします。オンラインと対面のハイブリット開催で、現地には関西圏を中心とした研究者や学生が集まりました。前編は、京都研究室の研究員4名(暦本 純一、竹内雄 一郎、シナパヤ ラナ、堺 雄亮)によるトークsessionを公開します。
【1日目トークsession】
ソニーCSL京都に出会ったきっかけ
暦本 純一(以下、暦本)「ソニーコンピュータサイエンス研究所 京都研究室(ソニーCSL京都)は東京・パリに続く3ヶ所目の拠点として2020年に開設しました。京都研究室のテーマは“ゆたかさ” です。テクノロジーによる効率性や利便性だけではなく、もっと大きな視点で人間にとってのゆたかさを追求しています。今回は、ソニーCSL京都に所属する若手研究員が、なぜソニーCSL京都に興味を持ち研究員になったのかを話してもらいます。学生の方には企業に所属する研究員としてのキャリアの参考になるでしょう。まずは自己紹介から、私はソニーCSL京都の室長で、専門はヒューマンインターフェースとヒューマンオーグメンテーションです」
竹内 雄一郎(以下、竹内)「私は研究員として未来の街をつくる研究をしています」
シナパヤ ラナ(以下、ラナ)「人工生命と人工知能の研究をおこなっています」
堺 雄亮(以下、堺)「建築構造を軸とした“かたち” と力の関係について研究しています」
暦本「では堺さんから、どこでソニーCSL京都を知ったんですか?」
堺「3年ほど前、日本建築学会の情報シンポですごく面白い研究をしている人がいたんです。その方の所属を調べたらソニーCSLでした。自分とは全く分野が違うので縁がなさそうだと思っていたのですが、在学中に京都研究室が設立されて研究員の公募が始まったんです。とんとん拍子でソニーCSL京都に入ることになりました」
暦本「堺さんはソニーCSL京都の初の京都人ですよね。実は東京から来た人ばかりの“よそさん”軍団なので、どうやったら京都との繋がりをつくれるかなと考えていて」
堺「いや、でも僕はエセ京都人ですよ。生まれは京都ですが、育ったのは京都ではなく各地を転々としていました。なので生粋の京都人とはいえません」
暦本「そうなんですね。他の研究機関に入ることは考えなかったんですか?」
堺「100%個人意思に基づいて研究ができるところはソニーCSLがぴったりだろうと考えていました。学振PDなどにも応募しましたが、最終的にソニーCSLを選びました」
暦本「ソニーCSLは一番多い東京研究室でも20名ほどで、京都研究室は現在4名の研究員が所属しており、とてもこじんまりしています。その代わり、ひとりひとりが研究テーマやリサーチトピックを作成し追求しています。大きな研究機関だと、まずは大きなプロジェクトに配属されたりしますよね。でもここは入るとすぐ自分の世界を作ってくださいと言われて放り出されます。自分の世界を作ることが好きな人は向いていると思います。実際に所属してみて、京都研究室の良いところはみえてきましたか?」
堺「入ってみると完全に自由でした。ずっと研究者として完全に自由で自分の世界を作り上げたいという思いが強くあったので、僕としてはその自由さがとてもよかったです。また、京都研究室が追求する“ゆたかさ” というテーマを掲げた研究所も、僕が調べた限りではありませんでした。“ゆたかさ” という未定義な言葉と自分の研究が絡められたら面白いことができそうだなと考えています」
堺 雄亮 研究員
ラナ「企業と大学で迷ったことはありましたか?」
堺「ソニーCSLと大学、スタートアップの3つで検討していました」
ラナ「研究所とスタートアップは全く違いませんか?」
堺「スタートアップといっても基礎研究をやっている会社でした。一般企業よりはアカデミック寄りで、研究を通じて世界の新たな価値を生むことができる場所を探していたんです」
竹内「私たちは研究の情報発信を積極的にしていないのですが、どうやって自由な研究ができるというのを知ったのですか?」
堺「関連の書籍が何冊か出版されていたので、その本を全て読み、ソニーCSLはユートピアのようなところなのだなと理解しました。もっとも、最初の出会いは先程話した建築情報学会で出会った笠原(俊一)さんで、彼の発表を聞き、自由な研究ができるのではと判断したんです」
竹内「なんか、誘導尋問みたいですよ(笑)」
暦本「自画自賛みたいになってしまいますね(笑)。ラナさんはどういう経緯で京都研究室に所属することになったのですか?」
ラナ「私はソニーCSLの東京研究室に入ってから京都研究室に移りました。ソニーCSLを知ったきっかけは、知り合いに東京研究室のオープンハウスのチケットを貰ったんです。オープンハウスでは、所属している研究員がそれぞれ全く違う研究をしているという印象がとても強く残りました。卒業後、普通の企業には入りたくなくて、かといって大学にも残りたくないと考えた時、ソニーCSLが一番よさそうだと考えました」
竹内「東京研究室では何年かに1度オープンハウスを開催して、学生や一般の方をお招きし研究成果を発表やデモンストレーションしたり、ディスカッションなどをするんです。京都研究室でも同じようなイベントをやりたくて、今回、Research Fairを開催することにしました。まだあまり大規模なイベントはできないので、オンラインとハイブリットでの開催になりました」
シナパヤ ラナ 研究員
自主性が問われる自由な研究所
暦本「ソニーCSLと大学の研究室との違いはありますか?」
ラナ「私が知っている大学の先生方はすごく忙しくて、自分の研究ができないくらい学内業務や教育をしなければいけないようにみえました。私は研究をやりたいので、大学には残れないなと......」
暦本「大学にもいる私にとってはなんとも言えませんが(笑)」
ラナ「もちろん両方できる人もいると思います。私の指導教員もやっていましたが、多くの先生は難しいですよね」
暦本「確かにそうですね。でもソニーCSLはいろんな人がいるんですよね。先程の話ででた笠原さんみたいな人もいれば、その隣に茂木(健一郎)さんがいて、脳科学やっている人と農業やっている人、数学をやっている人がいたり。大学でいうと、研究室どころか学部も違う人が並んでいます。大学で研究室をもって学生が増えてくると別分野の人と話すことが少ないんですよね。ソニーCSLは分野を超えた交流があるのが特徴です。若い方で研究を自分の力でどんどん進めたい人にはとてもいい研究所だと思います。ポジティブな面ばかり話していますが、ネガティブな部分はありますか?」
堺「いろんな分野の方がいるというのはポジティブな面もあれば、裏返しとして、自分の研究について深いところまで相談できる人がいないんですよね。自力で外にいって人を探して議論しないといけないという制約はあります。とはいえ、いろんな人と出会えるのでメリットとも言えますが。もうひとつ、自分が作ったものの喜びを一瞬で共有することが多分野の人とはなかなか難しい。例えば私の場合だと、建築の構造物ですごい特性をみつけたぞとなっても、ラナさんに説明しようとすると手間がかかってしまい、説明している間にお互いの熱が冷めてしまう。深いところでの研究内容の共有はなかなか難しいですね」
ラナ「私が大学で所属していた研究室にはいろんな分野の方がいたのですが、みんなが同じ目的で研究をしていたのでコミュニケーションがとりやすかったです。ソニーCSLに入る前、研究員の方にここの弱点はなんですかと聞いたら、いろんな分野の人がいるけれどソニーCSL内で共同研究することはあまりないと。確かに、いろんな人がいても一緒につくることがないのは少し残念ですね」
暦本「それぞれ自分のやりたいことをやっていますよね。では京都にある意味というのはどう考えますか?」
ラナ「京都に来てから自分の研究の方向性が少し変わりました。特に科学と文化の関係についてよく考えるようになりました。私はフランスの出身ですが、東京で経験する文化といえばコンビニが沢山あるとかトイレが綺麗、電車が便利といった現代のテクノロジーが中心です。でも京都に住むと、舞妓さんを見かけたり町屋でご飯が食べられたり、古い伝統に触れることができる。もちろん、テクノジーがなければ伝統も残れなかったかもしれませんが、テクノジーと伝統が一緒に体感できるんですよね」
暦本「僕も京都に観光客で来ていた頃と月の半分を京都に住んでいる今では印象が違っています。観光ではお寺とか神社に目が行きますが、実は京都にはパン屋がすごく多いとか。歩いてみると違っていて、周りの環境が研究にかなり影響を与えます。東京だと常に時間に追われていて、時間の感覚が変わりました。エセ京都人としての感想ですけどね(笑)」
堺「僕は単純に京都がすごく好きです。東京と京都を比べた時、東京には住んだことがないので行った時の感想になりますが、東京はノイズが多すぎる印象ですね。考えごとしながら歩くにしても、東京は情報が多すぎて、シンプルに考えることがしんどそうだなと。私はソニーCSL京都から歩いて帰れる場所に住んでいるのですが、通勤路も1本道なのでいらないノイズが乗ってこない。ものを考えるのに非常に自分の世界に没入できる。京都では、街と自分の思考が干渉し合わない感覚があります」
竹内「商業的に考えると東京はいい場所ですが、独自の思考を突き詰めるのには京都が合っていると思います」
暦本「情報量が多いと新しい情報が常に入ってくるのでいい面ももちろんあります。でも自分の研究をやろうとする時にあまりに情報をいれすぎると本当に自分のやりたい研究が何かわからなくなってしまう。トレンドに飛びつきすぎてしまうとかね。一方京都は、東京に比べるとソニーCSLのような基礎研究所が少ない。学生は沢山いるのに就職先は東京や大阪になってしまう。京都で研究キャリアを続けられるようにしたいというのも京都研究室をつくった理由のひとつです」
暦本 純一 室長
【2日目トークsession】
コンピュータサイエンスの原体験
暦本「1日目は若手研究員に話を聞きましたが、2日目は私と竹内さんに若手から質問してもらう形式で進めたいと思います」
堺「おふたりがソニーCSLに入ったきっかけを教えてください」
暦本「もう忘れてしまいましたが(笑)。1994年に現在のソニーCTOの北野(宏明)さんと当時ソニーCSLの所長だった所(眞理雄)さんからお声がけいただいたのがきっかけです。実は北野さんとは前職の会社で同じ部署にいたんです。私がカナダに留学している間に北野さんはソニーCSLに転職して、帰国したら研究所をみてみませんかと案内されて。当時のソニーCSLの研究員は10〜12名でした。アットホームな雰囲気で、オブジェクト指向OSや人工知能など、ひとりひとり全然違うテーマで研究をやっていました。私が当時所属していた会社のような大きな組織での研究とは全く異なり、それぞれ才能があって尖っていて、すごく面白いなと思いました。留学先でソニーが新しい研究所を作ったという噂は聞いていたのですが、実際に見学すると予想よりもこじんまりしていて、尖っているという印象でしたね」
竹内「暦本さんが忘れているといいながらすごい覚えていることにびっくりしました(笑)。私が入社したのは2008年で、ラナさんと同じく、オープンハウスのチケットが大学の研究室に届いて遊びにいったことがきっかけです。あまり覚えていないのですが、確かブロックで音楽をつくるインララクションロボットを見て、研究のプロトタイプでありながら見栄えがしっかりしてソニーらしいなと感じたんですよね。それが頭の中にずっと残っていて、博士課程の最終学年になり応募したら採用になりました」
ラナ「暦本さんに聞きたいのですが、ヒューマンインターフェースとヒューマンオーグメンテーション(人間拡張)の研究をしていますが、なぜその分野を選んだのかとそれぞれの違いを教えてください」
暦本「前回の大阪万博というのがありまして、1970年のことですが(笑)。IBM館にライトペンが展示されていたんです。ライトペンってわかりますか? パソコンのマウスのもっと昔に使われていた道具です。そのペンを使って赤塚不二夫の漫画を選ぶことができたりして、自分の中ですごくインパクトがありました。当時のコンピュータは大型計算機しかなかったので、触ることができてしかも画面が変わることに驚いたんです。その体験がとても大きなきっかけですね。高校生になってからアラン・ケイの論文を読んだりXerox PARCの研究などを知ったりして、絶対こういう仕事がしたいと思ったんです。だから原体験としては大阪万博です。
ライトペンのような研究はアイバン・サザランドがやっていて、彼はヘッドマウントディスプレイなどを開発したVRの父でもあるし、ライトペンのようなグラフィカル・ユーザー・インターフェースの父でもありました。彼がやっていたことはヒューマンターフェースでしたが、実際はヒューマンオーグメンテーションなんですよね。VRヘッドセットやライトペンはツールであって、本当は人間の能力をエンパワーメントする道具立てなんです。そう考えると、ヒューマンンターフェースを研究していると自然にヒューマンオーグメンテーションの研究に発展していったのが現状ですね」
竹内雄 一郎 研究員
ラナ「竹内さんはずっと同じ研究をされてきたのですか?」
竹内「僕は大学院では情報系の研究をやってきました。僕がソニーCSLを受けた時、当時の所長だった所さんと1対1で面談したんです。その時に言われたのが“君が大学院でやっている研究は面白くないからやめろ”と(笑)。もうひとつは“何をやってもいいから、新しいことをなさい。ソニーCSLは実力主義の研究所だけれど、新卒で採った人をすぐにクビにはしない。だから、ゆっくりこれからの人生で自分のやりたいことを考えなさい” と言われました。やりたいことを決めるまでに5〜6年かけていいなんて、マジかー!と。それがソニーCSLに入る決め手になりました。
入社してからは、とりあえずやりたいことを探し始めました。当時は、テクノロジーを使った未来の建物を作りたいと考えていたのですが、ある日、所さんと飲みの場で話をしていたら、留学してこいと言われたんです。昔からコンピュータサイエンスと〇〇とか、学際的な研究をやりたいという人は沢山いるが、コンピュータサイエンスしか学んでない人は面白くない、まだ若いんだからもっと勉強してこいと。それで、建築と都市計画を学ぶ大学院に留学しました。留学での経験が、情報系のバックグラウンドをもちながら都市計画など研究をするきっかけになったと思います」
ラナ「留学から帰国されて、Wikitopiaプロジェクトの研究(https://wikitopia.city/index.html )をスタートしたんですね」
竹内「そうです。まだWikitopiaという名前はなかったのですが」
堺「お話を聞いていると、若い頃に受けた影響や起こしたアクションが今に繋がっているという印象を受けました。もしおふたりが今、大学院生だったらどんな研究をしていたか、ソニーCSLに入っていたと思いますか?」
暦本「当時はソニーCSLはゼロックスパロアルト研究所をモデルにして設立されたわけですが、日本には同じような研究所はひとつもありませんでした。当時はオンリーワンで、企業の研究所としてもあの自由な雰囲気をもつ場所は一切なかったと思います。でも今は他にも研究所があるかもしれない。ただ、やりたいことを5~6年かけて探していいよという研究所はないですよね(笑)。覚えているのが、所さんが新卒の面接をする時に、先生と喧嘩しているかを聞くんですね。要は、指導教員と喧嘩するくらい骨のある奴でないとダメだと。僕自身は大学の先生でもあるので微妙な話ではあるんですが(笑)。先生の言うことばかり聞いている優等生は要らないという雰囲気があった。ソニーCSLがそういう研究所ならば、今でも入りたいと思います。
何の研究をやるか考えてみると、AIはすごすぎて何やっても面白いと思います。コンピュータサイエンスは今、コンピュータサイエンス史上で一番面白い時期です。面白いことがありすぎて、本当にやりたいことをしっかりと探さないとわからなくなってしまうくらい。とにかく面白いと思います」
堺「竹内さんは、今学生だったら何の研究をしますか?」
竹内「ソニーCSLは上から〇〇の研究をしなさいと言われたことは一度もなく、自分でテーマを設定できます。だからここにいる限り、僕のテーマが明日から全く変わってしまっても怒られない。もし今学生に戻ったとしても、今やりたいことをやれているので、そのまま同じ研究をすると思います」
ラナ「AIの話に戻りますが、今のAIはモデルを使うだけなら自分の家のラップトップでできますよね。そういう時代において、ソニーCSLという場で研究する意義は?」
暦本「自分のラップトップどころか、今はクラウドで計算ができるので、なんなら電車の中でもできる。でも何をやるかというのが難しい。AIになにをやらせるか、道具を単に使うのではなく、人間にとって本当の価値のある使い方を考えなければいけない。さっき竹内さんが言ったようにコンピュータサイエンスばかりやっていては出てこないんです。だから違う分野の研究をやっている人と話すと言うのはとても重要なんです。ずっと真面目な話になってしまいましたが、会場から何か質問はありますか? 綺麗事ばかり話していいいのかって言われそうで(笑)」
会場の観客「今のソニーCSLが好きか、どういうところに魅力を感じているのかを知りたいです」
暦本「昔のソニーCSLのパンフレットに所さんが“好きな研究をやっていいと言われた時に価値のある研究ができますか?” と書いていたんですね。とても深い投げ込みで、それに答えられるように頑張っています。何でもやっていいということは自分ですべての責任をもたなければいけなくて、人のせいにはできません。その“人のせいにはできない” という所が僕は好きなのですが、世の中にはお金がないからできないとか環境が悪いからできないと、すぐ外に原因を作る人がいますよね。もしそのできない原因がすべてなくなった時、自分ができることってなんだろうと問い続けられる場所なので、だからここに居たいんです」
竹内「今の時代、コンピュータサイエンスをやっていれば行く場所は沢山あると思います。でも所さんに言われたようなロングタームで研究をやらせてくれる所はあまりないのではないでしょうか。短期的な成果ではなく、何年かかけて自分のオリジナルな研究を作り上げたいという人にはソニーCSLはとてもいい場所です。いまでもロングタームで考える文化は残っていますから」
ラナ「暦本さんは大学でも教えていますが、大学ではできるけどソニーCSLでできないことってありますか?」
暦本「逆ですかね。大学ではできないことがソニーCSLではできるというほうが多い。すぐに論文にならない研究は大学では難しいんです。学生にテーマを与えて半年で論文にしなければいけないわけですよね。ソニーCSLでは、ひとつの研究に5〜6年かけたり、ハイリスクなことをやろうと思えばできる環境です」
文化とテクノロジーが融合する京都という街
堺「研究をする場というのはとても重要ですよね。暦本さんがソニーCSL京都を立ち上げる際、“ゆたかさ” をテーマにしたのはなぜですか?」
暦本「真面目な理由は沢山ありますが、単に京都が好きだったんですよ(笑)。ソニーCSLは東京研究室の次に、所さんがパリ研究室を作りました。アメリカに作らなかったのが面白いですよね。文化とテクノロジーの融合というのがソニーCSLが目指していることです。技術だけでは人間は幸せになれないけれど、単なる文化だけでもなれない。お互いに高いレベルで融合することが大きなテーマです。日本で技術と文化を融合させることができるのは、京都しかないと思いました。京都は東京とは違う価値をもっていて、経済で測れない部分が多く、世界でもオンリーワンの都市です。文化があるのはもちろん、実は有名な企業も沢山あってテクノロジーの水準が高く、かつ大学の街なので学生さんたちもいます。そんな街は他にありません」
堺「竹内さんは京都研究室の立ち上げメンバーですが、なぜ暦本さんについて京都に来たのですか?」
竹内「僕はサラリーマンなので、カフェにいた時に“京都にいかない?” って電話が来て、“行きます” と返事しただけです(笑)。でもテーマは時代にとても合っていると思います。ソニーCSLは1980年代からやっている研究所で、当時は情報技術に対して楽観的だったと思うんですよね。インターネットがでてきたら、これで人種や場所も越えて誰もがわかりあえる時代になるというユートピア的な話を技術者たちがしてきました。でも実際に情報技術が社会と複雑に絡み合う絡み合うようになると、様々な問題がでてきた。これからはテクノユートピアのような技術者の理想像を追い求めるだけではなく、もう少し違う観点から技術開発をやっていく必要がある。それに特化した研究室ができるというのは非常に意味のあることだと考えて、京都に行くことを決めました」
ラナ「初めて“ゆたかさ” をテーマにしますと聞いた時、どう感じましたか?」
竹内「コンセプトはすごくいいと思いましたが、日本語をローマ字にして“YUTAKASA” みたいにするのは嫌だなと」
暦本「“ゆたかさ” をそのまま英語にして通用させたいという目論見はないですよ」
竹内「例えば北欧からきた“ヒュッゲ(HYGEE)” という言葉があるじゃないですか。言っていることはごく普通のことなんだけど、外国語の名前だからすごく高尚なモノにみえるとか。そういう感じで、“YUTAKASA” を海外に押し付けたくはないなと」
ラナ「私も同じで、どう訳せばいいのかなと思っていました」
暦本「自分自身が一番驚いていますが、京都に研究室を作って考え方がとても変わりました。なぜ“ゆたかさ” をテーマにしたかというと、我々4人ともそうですが、効率とかスマートシティとかが嫌いなんですよね(笑)。よくあるスマートシティってみんな住みたいのかなと。本当に住みたい所ってどこだろうと考えた時、それが京都だったんです。“ゆたかさ” について東京で研究していたら今とは全く違う方向性になったと思います」
研究者4名がソニーCS京都で研究をすることになったきっかけや京都研究室のビジョンを話した後、ゲストをお招きしたsessionをおこないました。後編のゲストsessionはこちら