ソニーコンピュータサイエンス研究所 - 京都 研究員インタビュー 第2回
地球上にある生命とは全く異なる第二の生命(N=2 https://www.sonycsl.co.jp/sp/15416/)を探る研究をおこなっている研究員のラナ シナパヤ。不可能にも思えるような問題をあえて選び、その難題を面白がることができるのが研究者としての強みである。また、生命科学を背景にしつつ、分野に捉われることなく幅広いテーマを扱っているラナ研究員に、最新の研究と科学への向き合い方について訊いた。
ー研究者として掲げているテーマを教えてください。
今おこなっている一番大きなテーマは、“Finding the N=2 of Life” つまり「生命のもう一つのあり方をみつける」ということ [N=2の生命] です。地球の全ての生き物は、同じ先祖から進化したと思われています。生命の起源や進化においても、ランダム性の影響が大きいため、ちょっとでも違った環境だったら、完全に違う生命になったかも知れません。色々な起源や進化を想像できますが、どんな生命があり得るかを調べるのは難しい。私たちは、地球の生命という1つの例しか知らないので一般化できません。
この問題を解決するために、地球以外で生命を見つけるか(Astrobiology)、新しい生命をゼロから作るか (Artificial Life)のふたつの方法が考えられます。
Astrobiologyでは、「agnostic biosignature」という概念にフォーカスしています。ここでのagnosticとは化学に依存しない生命のことです。つまり、我々が知っている生命の存在の証、例えばDNAやアミノ酸、または水の発見という従来の考えとは異なる方法のことです。「生命は複雑なシステムである」「生命は自己複製する」「生命は進化する」といったヒントを用い、宇宙で生命を探しています。(論文)
一方、Artificial Lifeでは、主に「open ended evolution」のシミュレーションにフォーカスしています。生命をパソコンで作るための最適な条件を探しています。自己複製や突然変異(mutation)をするシステムを作るのは簡単ですが、「自己複製する」「突然変異する」というルールをパソコンに書き込むと、そのシステムは長く進化しないという問題が知られています。しかしルールを直接定義するより、「自己複製と突然変異が起こりうる環境」を用意すると、そこに現れるシステムはとても進化しやすいんです。このような現象について研究をおこなっています。(論文)
ー生命を探索する研究以外にも、多様なジャンルの研究を行っていますよね?
ほかには、錯視とAI(Artificial Intelligence: 人工知能)の研究、文化の進化についてのプロジェクト、学校給食レシピとAIのプロジェクト、西陣織のプロジェクト、犬が喋るプロジェクトなどをおこなっています。
ーではまず、錯視とAIの研究について教えてください。
最近流行っているAIは、最適化が目的ですので失敗が許されない。それでもAIはよく間違った結果をアウトプットしますよね。例えば、テキストを生成するAIは意味の分からない返事をしたり、画像解析するAIは犬を「船だ」と間違えたりします。こういった失敗は人間の失敗と違いすぎるため、最初に発見された時は多くの研究者たちが驚きました。「AIの仕組みはやっぱり人間の脳と全然違う」という結論になったんです。
2つの似ているシステムが、正解の時に同じ答えをだしても、失敗の仕方が違っていたら、やっぱり違うシステムだったと初めてわかる。言い変えると、同じ失敗をするシステムは、必要条件だと言えます。つまり、人間に似ているAIを作りたければ、人間の失敗を再現するAIを作らないといけません。
そこで、私は錯視に興味を持ちました。錯視は人間や人間以外の動物の認識システムの失敗だと考えられています。さまざまな錯視の研究が行われていますが、多くの錯視の原因が分かっていません。ところが、2018年に基礎生物学研究所(NIBB)の渡辺英治先生が、錯視の見えるAIについての研究を公開しました。錯視の見えるAIは人間の視覚と同じ仕組みだと考えられ、そのAIを研究することで人間の知能について色々分かる可能性があります。
「人間と同じ失敗をする」ことを証明するために、人間が作った錯視にAIが人間と同じ反応をするだけではなく、AIが作った錯視に人間がAIと同じ反応をすることも必要です。渡辺先生との共同研究で、AIに錯視を作らせて、人間にもAIの錯視が見えるということを示しました。(Link to illusion github)
ー大変面白いですね。では京都ではじまったという西陣織のプロジェクトとは?
文化の進化にも興味があります。文化は「生き物」ではないですが、生まれて、進化して、最終的に消えます。生き延びる文化と消える文化の違いは何か。この大きなテーマの中で、京都の伝統的な織物である西陣織を作っているフクオカ機業に協力をいただきながら研究をおこなっています。
西陣織のプロジェクトでは、織物の柄を制作するデザイナーさんの仕事が大変だと伺い、画像データから画像生成が自動化できないかと考えました。流行りの生成AIとは異なる方法で、学習データがない状態からAIがデザイナーさんの片手となり、まるで人間の手が増えたかのようにAIと同時に作業できるシステムを開発しました。
ー研究の過程で一番楽しい部分はどこですか?
課題を解決できそうなアイデアを考えることも楽しいのですが、1番は考えついた全てのアイデアが失敗し、最後のひとつとなるアイデアを思いついた時です。研究は新しい知を生み出すプロセスだと思います。普通のやり方ではなかなか解決しない課題や、クリエイティビティが必要な課題ほど、誰も触れたことない知識に触れるチャンスです。誰もが解決方法を思いつく課題は競争が激しいですし、自分がやらなくても同じことができる100人がいると思うとリソースの無駄だと感じます。
ー尊敬している研究者やご自身に影響を与えられた研究者はいますか?
心理学者で動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールです。彼は、ほかの研究者たちが押し付ける「一般知識」を受け入れず、科学というものの本質を守りながら動物行動学の世界を変えた研究者です。また、元マイクロソフト社初の最高技術責任者としても知られるネイサン・マイアーボールドは、分野の切り分けを気にせず色んな研究を全力でやるところが魅力です。そして、計算生物学者のマイケル・アイゼンにも影響を受けています。彼は「オープンサイエンス」の提唱者で、自分が偉い立場になっても、科学のために組織の悪いところを変えようとする姿勢に学ぶところが多いです。
ーまだ構想段階とのことですが、犬が喋るプロジェクトもおこなっているとか。愛犬とのコミュニケーションで得るものはありますか?
自分と全く違う「知能」を持っている生き物の脳の中を覗く機会でしょうか。動物って一体何を考えているのかといった、昔ながらの夢が叶えられた気がします。人工知能は本当に知能なのか、宇宙人が存在するか、のような疑問に興味ある人は(自分を含めて)みんな新しい「知能」と会いたいと思っているはずです。でも、今までは犬と人間とのコミュニケーションには限界があり、人間の思い込みだけでインタラクションを解釈しないといけませんでした。でも犬が人間の言葉を操り自在に喋ったり、言葉でコミュニケーションできたりすれば、お互いの理解が深まり無限可能性が広がると考えています。
ラナ シナパヤ Lana Sinapayen
ソニーコンピュータサイエンス研究所 京都 アソシエートリサーチャー。2012年ホンダ・リサーチ・インスティテュートで研修し、研究の世界を意識するようになった。2015年東北大学修士課程修了(情報基礎科学)。同年仏INSAエンジニアリング学校卒。本来実装していた本格的な数学モデルからはなれ、人工生命の研究室に移動し2018年東京大学にて人工生命と人工知能の博士号を取得。博士課程の間多文化共生・統合人間学プログラムに採用され、東京大学一高賞を受賞。2018年9月より現職。2022年、国際人工生命学会(ISAL)による「2022 ISAL Award for Distinguished Early-Career Investigator」に選出。また「2022 ISAL Award for Exceptional Service」も受賞している。
企画:柏 康二郎、文:服部 円