2023年2月27日、京都研究室で、数寄屋建築の思想・技法とデジタル技術が融合した茶室「寂隠」の開設に関するメディア向けの発表会を開催しました(プレスリリース)。裏千家の伊住禮次朗氏が主宰する株式会社ミリエームの茶美会文化研究所と各種研究テーマの開発と実証を継続的に重ねる実践の場として、これまでにソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)において研究開発してきた様々な技術を取り入れながら、新たな体験の創出に取り組み、現代社会への還元を試みることで文化の発展への貢献をめざします。
メディア向け発表会の模様を、レポートで紹介します。
第一部:茶室「寂隠」概要のプレゼンテーションとパネルセッション
第一部のオンラインセッションでは、まず京都研究室長:暦本さんと、共同研究先の茶美会文化研究所の主宰:伊住さんによる茶室「寂隠」の概要についてのプレゼンテーションを行いました。その後、茶室「寂隠」の設計・施工に関わった一級建築士の遠山さんを加えてパネルセッションを実施しました。
茶室「寂隠」によるゆたかさ・美しさの探求(暦本さん)
ソニーCSLの第三の研究拠点である京都研究室は、日本文化が根強く残る京都の土地で、文化と技術が高度に融合した「ゆたかさ」を探求するために設立されました。今回開設した茶室「寂隠」は『茶の湯』文化とデジタル技術の融合研究の実践の場として活用されていきます。この、茶室「寂隠」の概要と開設の意義を京都研究室室長である暦本さんがプレゼンテーションで発表しました。
従来、スマート化やテレワークといったものはバーチャルに相当し機能や効率を担保するものであり、季節や健康などの物理的なものはリアルに相当しゆたかさを担保するものとされてきました。しかし、このように分断していく方向ではなく、むしろリアルとバーチャルの融合領域にこそゆたかさがあります。茶室は市中の山居と呼ばれ、茶室において山中の雰囲気をバーチャルに抽象化し都市の中にリアルとして再構築することで、美しさやゆたかさが発現しているのではないでしょうか。一方でリアルとバーチャルの融合が美しさやゆたかさといった概念と真逆に作用する場合もあり、美しさやゆたかさを担うリアルとバーチャルの融合を実践してきた京都の地で、それらを探求していくことがソニーCSL京都研究室の目的の一つである、と語りました。
また、茶室に則して自動化と「お点前」の関係性についても言及しました。 AIのような最適化技術により自動化が進む中、「お点前」のように美的に洗練・最適化されているAI的な側面があっても、あえて自分の体を動かして行うことにも意義があります。chatGPT(最新のAI対話ボット)に自動化と「お点前」の関係性を聞いたところ、『自動化と「お点前」は目的、手順、役割が大きく異なるが、どちらも効率性・精度・美意識などの価値を追求することは似ている』という返答があり、自動化と「お点前」の関係性はAIも同じように答えてくれます、と語りました。
このように『茶の湯』文化とデジタル技術の関係性を深化しつくられた茶室「寂隠」は技術を前面に押し出したものではなく、茶室としての美しさの裏側に技術を使用した空間です。また「寂隠」には文字通り、日本文化の美意識を示す言葉である「寂び」と、古くは「市中の山居」・「市中の隠」とも表現された茶室の思想に通じる名であると共に、その読み「じゃくいん」には文字通りの詫び寂びの意味と、SF作家ウィリアム・ギブソンの”Jack In”というサイバー空間に全感覚をもって飛び込む意味も含まれています。暦本さんはお点前の作法を3次元で再現する研究や、茶会の道具やお茶菓子を光沢などの質感まで立体視する研究など、リアルとバーチャルの融合した世界に”Jack In”していくようなコンセプトで研究開発を精力的に行っていきます、と語りました。
茶の湯文化の本質の伝達、茶の美に出会う「茶美会」(伊住さん)
茶美会文化研究所は、『茶の湯』文化を現代において検証し、その文化の本質を現代生活者に伝達することを目的として設立されました。2003年に一度活動を休止したものの、昨年(2022年)現主宰の伊住禮次朗さんによって活動を再開しました。茶美会の活動と茶の湯文化、そしてソニーCSLとの共同による茶室「寂隠」開設の目的を伊住さんがプレゼンテーションで発表し、語っていただきました。
茶美会(さびえ)という言葉は現主宰の伊住さんの父・政和さんが提唱した造語で、茶道や茶会という言葉の持つ敷居が高く固定的なイメージを打破するため、「茶の美に出会う」というコンセプトを持つ言葉としてつくられました。伊住さんは「茶の湯文化は作法を重視し、間違えたら叱られてしまう、といったイメージが持たれていることがあります。しかし、本来茶会は今でいうホームパーティのようなもので、お客様が来た時に自分なりに食事や飲み物などのおもてなしをして、心を通わせ合うことが大事であると考えています。」といい、現代における茶の湯文化のイメージと本質の齟齬について述べました。このような、茶の湯文化の楽しさ・喜びを知ってもらうために行ってきた活動として、工芸作家が自身の作品を制作するのみでなく、作家がお茶会の亭主として客と交流するものや多くのクリエイターを巻き込んだ展覧会形式のものを挙げられていました。
茶美会文化研究所の再始動に際し、伊住さんは現代に茶の湯文化の本質を伝える目的のもと、①伝統の継承と②本質の探究の二つのアプローチを挙げ、主に②本質の探求を軸とし研究と実践に取り組んでおられます。発表の中で、文化と技術の高度な融合を目的として掲げるソニーCSLとの共同研究により、現代都市に「市中の山居」である茶室を技術の力を駆使することで実現し、現代に茶の湯文化の本質を伝えるための研究と実践を行っていく、と語りました。
その後、メディアの方からの質疑応答がありました。「これらの技術が将来どのように発展していくのか。」という質問に対し、暦本さんは「例えばお点前の3次元データ記録の研究では、3次元データ化することで時間を止めて自分や師の作法を確認したり、遠隔地から師の例をもとに作法を学んだりといった時空間の制約を超えた文化伝承を可能にできる。」と語りました。また、「茶美会文化研究所はこの研究をどのように活動に還元するのか。」という質問に対し、伊住さんは「茶の湯文化には日本における伝統的な衣食住の文化が集約されている。今回のアプローチは実験的な取り組みながら、伝統文化が最新技術に向き合うことで様々な領域から現代に接続する方法や選択肢を増やすことができる。」と述べました。AIをはじめとする技術により世の中は最適化されていく流れにあります。お点前のようにあえて自分の身体を用いて行うことに意義があるものごとを、技術の力を利用することで新たな形で拡張していく世界を探究していきます。
人工物による自然美の追求(パネルセッション)
概要説明に続き、茶室「寂隠」の設計・施工に関わった遠山さんを加え「市中の山居」という茶室のコンセプトをどのように表現したかに関してパネルセッションが行われました。施工に使用された木材や障子の紙などの素材の話から始まり、技術がどのように仕込まれているのかについて、三名で語り合いました。
まずは施工に使用された木材に関する話題から始まりました。例えば、寂隠で用いられている柱は一般の木造建築と異なり、角材ではなく趣向に応じて厳選された丸太であり、材木一本一本の特性が生かされ、自然の造形美を感じさせる空間として造られています。
茶室「寂隠」内の床柱と茶掛
また茶室空間に光を入れる障子の役割やその作りについても言及され、障子に使用されている紙はあえて手漉きのものを使用しており、またあえて継目をみせることにより、閉鎖的な茶室に流動性を醸し出している、と語りました。
手漉きの紙を用いた障子
このような茶室の裏に、さまざまな技術が仕込まれています。例えば天井の3次元センサを用いてお点前を3次元データとして記録・再生する仕組み(JackIn Space)や、茶室の入口に仕込まれた透明度の制御ができる液晶を用いたプログラマブルな建築に関する技術(Squama)が紹介されました。Squamaを寂隠用に展開した「雪見扉」により、茶室に入る際には透明で茶室に誘導され、茶室内に入ると不透明になり茶室外の環境に意識を向けなくてよい没入感のある空間を状況に応じて作ることができます。伊住さんは「茶事の際に障子を開けておくなどする『手掛かり』といったお客様を茶室に誘導する流れを、現代の狭い空間において実現する形だと思います」と語り、本技術と茶の湯文化の融合の可能性を語られました。
3次元センサ設置天井と側面ディスプレイ(左)と茶室入口の透明度制御技術(右)
今後の研究の可能性のひとつとして、照明の研究を茶室内に展開する可能性についても取り上げられ、さまざまな技術と茶の湯文化の融合に向けた取り組みをここ「寂隠」において行っていく、と語りパネルセッションを締めくくりました。
最後に、パネルセッションに関する質疑応答が行われました。「今回のビル内かつ技術を取り入れるような施工に際して、普段とどのような違いがありましたか。」という質問に対し、遠山さんは「技術をいかに自然に取り入れていくかという点が難しかったが面白かった。特に最後の茶室内の光源による影の問題は、建築にも取り入れてより自然で豊かな空間を作ることができる。」と答えました。伊住さんによると、もともと茶室のコンセプトとして掲げられていた「市中の山居」は、都市部の限られた空間に山居の躰を構築するということであり、その点においては今回のような制約が多い施工にも通じるものがあるとのことで、寂隠が今後、現代の茶室を作っていくモデルケースとなりうる、と語りました。様々な技術をとりいれつつも、茶室のコンセプト「市中の山居」を体現した「寂隠」で、これからも研究を推し進めていきます。
>第二部:「寂隠」技術デモ、ソニーCSL京都研究室での研究の紹介
オンラインでの配信が終わったのちは新聞社・テレビ局の記者の方をお招きし、メディア向け公開デモを実施しました。実際にお茶室の中に組み込まれた技術デモや今回のプレスリリースでの発表内容に加え、京都研究室にいる各研究員の研究内容について、記者の方々へのデモが実施されました。
天井に設置されたセンサーにより点群となった「亭主」をARグラスを用い自由視点で体感
裸眼立体ディスプレイを用い、茶会の記録を立体的にアーカイブ(協力:「ソニーグループ(株) R&Dセンター)
②暦本副所長、シナパヤ研究員、学生研究員の足立さんによる研究:AIによる和柄画像の生成と西陣織の試作
③堺研究員による研究:機械的メタマテリアルに関する研究
④シナパヤ研究員による研究:生物の進化論を調理レシピや文化の進化に応用する研究
テレビ局の取材に対応する暦本さん / 新聞社の取材に対応する伊住さん
まとめ
オンラインセッションならびに現場での技術デモ・研究紹介では、当初の予定時間を超えて、記者の方からの質問を多くいただき、あらためて科学技術と伝統文化の融合を目指す本取り組みが注目度の高い研究テーマであることが再認識できました。実際に茶室を用いた技能の伝承や、照明技術などの検証を行いつつ、定期的に意見交換や情報発信を行うことによって、リアルとバーチャルの融合がもたらす体験の本質を探っていく活動を推し進めていきます。
関係者一同での集合写真
This article is available only in Japanese.