10月14日~16日に開催されたソニーコンピュータサイエンス研究所Open House 2015についてのレポート第2弾です。(株)TM Future 竹内美奈子氏に寄稿いただいています。
BLOG4: 2015.11.17
ソニーコンピュータサイエンス研究所Open House 2015 レポート(その2)
ソニーコンピュータサイエンス研究所(以下、ソニーCSL)「オープンハウス2015」。前回は、「シンポジウム」のセッションⅠ「グローバル・アジェンダ」をご紹介した。今回はセッションⅡである。「シンポジウム」セッションⅡのテーマは「ヒューマン・オーグメンテ―ション」。「人間拡張」である。初めて聞いた方には聞きなれない言葉かもしれないが、その姿が様々なアプローチから解き明かされていく。
トップバッターは、このセッションのチェアを務める副所長の暦本純一さんである。
「機械と人間」。
47%の知的職業が、AI或は機械学習によって高い確率で置き換えられる。一時、チェスや、日本でも将棋でおきた、コンピュータが勝つか人間が勝つか? 恐らく私たち凡人の多くは、コンピュータの能力が一体どこまで進化し人間を超えていくのだろうか? そうして人間の仕事を奪うのだろうか?とシンプルな疑問と共に、複雑な思いを抱く。それに対し、ソニーCSLの立ち位置は明らかだ。コンピュータは人間を置換するのではなく、「人間の能力や存在を拡張する」ために進化すべきである。ある意味で、「思想」ともいえるこの研究テーマのフロントランナーが、暦本さんである。
スクリーンに映し出された「Human+Computer>Human」「Human+Computer>Computer」の文字。なるほどと思う。Human>Computerでもなく、Human<Computerでもない。
実際はこうである。JackIn(没入する)JackOut(離脱する)と呼ばれる状態をウェアラブルコンピュータやドローンを使って作りだす。自分の存在からJackOutしたり、他人の空間にJackInしたりする。例えば、人が異なる人の視線からものを見て自分を客観視する。また、異なる能力の人と接続されることにより自分にはない(例えば腕の良い料理人)の能力を借りることができる。拡張の範囲は、認知能力にとどまらず、身体能力、五感、存在感等に及び、「人が異なる能力と接続される」ことにより、「個」の持ちうる能力を超えた、創発的な関係を作りだす。また、場所の制約からも拡張される(Out-of Body Vision)こともできるし、人間が 「他人の感覚空間に没入する(Human-Human Jack-in)」ことができ、自分一人でできないこともできる。(暦本さんのJackInプロジェクト詳細についてはこちらを参照ください)
暦本さんの唱える(IoTの次は)IoA(Internet of Abilities)。人が「個」という制約から解き放たれ、他の能力とインタネットで結ばれると何が起こるか? スポーツ選手にJackInして試合に参加しているかのようにオリンピックを観戦する?視覚障害者が他人の視覚能力を借りる?またプロスポーツ選手と私たち即ち運動能力差があるものどうしが同じ競技を楽しめる。。。といった、夢と想像が膨らむ。
暦本さん曰く、マズローの欲求段階説には第六の段階即ち「自己超越(Self Transcendence)」という欲求段階があるという。そんな未来が見えてきた。オープンハウスでのデモンストレーションが楽しみになるプレゼンテーション。暦本さん自身が遊び心、少年が夢を追う心を失わない人なんだろうなと思わせる。今後は五感の共有、感情の共有などもできてくるのだろうか。また、病の体験,老いの体験がよりリアルにできれば,山本さんの研究にもつながり、健康行動を誘発する事も可能になるのかもしれない。
セッションⅡの2番目は、「ものつくり人工知能の教育方法」。
経済物理学の研究者である高安秀樹さん。私たちのあらゆる経済活動の中で高頻度に集積されるデータ。物理学の視点とノウハウを取り入れて、これらのビッグデータを解析する。
彼は、ソニーの半導体工場で、CMOSセンサーの生産歩留まりを約3%上げることに成功している。(ちなみに歩留まりが1%上がると月あたり1億円以上のコストカットが可能と言われている。)デジタル技術のLSIやメモリと違い、極めてデリケートなアナログ技術のCMOSイメージセンサー。しかも工程の違う新しい製品が次々登場する。数百種もの工程、数千台の製造装置で蓄積された膨大なデータを解析、人工知能を駆使したその手法とプロセスを、犯罪捜査と告知になぞらえたプレゼンテーションが興味をひく。容疑者を網羅的にリストアップし、アリバイの検証と容疑者の絞り込みを行っていく。そして確たる証拠をつかむ。「何となく怪しい」ではできない高確率、高精度。でなければ、歩留まり3%アップにはならない。
このものつくりの場でAIを使う側の人間が行うことは、1つ目に肝心かなめのチップの設計、2つ目はクリーンルーム環境や製造装置の整備、そして3つ目がデータ解析手法の開発、異常の検出や歩留まり向上策そのもの即ち「人工知能の教育」である。
人工知能は、想定外の新しい現象に出会うと極めて非力だが、人間は、新しい現象・未知な事例でもなんとかして答えを見つけることができる。よって、想定外が発生したら、人間が答えを見つけ、アルゴリズム化して、人工知能に組み込む。そうすれば、次からは想定内になり、人工知能はどんどん賢くなる。このように、人工知能は、想定外も処理できる教育係の人間とともに進化し続けられる。また、そのような人材を育成していかなければ、「モノづくりの進化は止まる。」
やはり、「Human+Computer」がテーマである。人間の視点で、どうカスタマイズするかが、人工知能の教育であり、そこに価値がある。
3番目に登場したのは、茂木健一郎さん。「脳と創造性」である。
「頭の良さ」の競争が意味をなさない社会!
全人口の27%が自分が頭がよいか(すなわちIQ)について不安を持っている。では、人工知能のIQが4000になったらどうなるか?そんな人工知能万能の時代に、人間はどうすればいいのか?
茂木さんの提案は、「リラックスして、クリエイティブになろう!」である。
茂木さん一流の、早口だが人を驚かせながら楽しませるプレゼンテーション。スクリーンにも「遊ぶ」とか「幸福」などの文字が踊り、本人が最も真剣でありながら楽し気である。
「遊び」は創造性の重要な要素である!カラスも遊ぶが、動物は遊ぶ時期は限られている。人間は年齢が上がっていても「遊び続ける」ことができる。「遊ぶ」ことで小脳のシナプスが刺激を受ける。茂木さん曰く、リラックスして集中するけど脱力している、そんなフローゾーンに入り、幸福な没入ができるとき、(金メダルのために走るのではなく、)走ること自体即ち行為自体が目的となっているときに人は最大のパフォーマンスを発揮する。集中してリラックスした後にひらめきが起こるそうである。ああ、日本人は苦手だなって思う。
さらに、茂木さんによると、「セレンディピティ」即ち「偶然の幸運に出会う」(Aを探しているとBに出会う)能力を上げることは創造性を高める上では重要なのだと。そしてセレンディピティの三要素はAction(行動)Awareness(気づき)Acceptance(受容)。ニュートンのリンゴのごとく、世の中を変えるような研究も、何かをやっているときに偶然見つけたものが多い。何かやっていないと何にも出会えない。どれだけ行動できるか、自ら気づけるか、そして新しい価値観を受け入れられるか・・これは、人財育成の基本とも合致している。
そうか、遊んでいいのか、年をとっても遊べるなんて、人間って素敵だなと思わせる。だが、私たちは、「上手に遊んでいるのか?」とも、思う。そして、茂木さんの言う「遊びと集中の関係」がより認知されれば、日本人の働き方や働く環境のあり方も変わっていくのだろう。
パリからは、所長のフランソワ・パシェさん。
「Creativity and Music」
彼の研究対象は、「スタイル」である。音楽も絵画も文章もスタイルをもって演奏されたり描かれたりし、それがクリエイティビティである。
では、どうやってスタイルは形成されるのか? 先人のスタイルの模倣から始まり、実験を重ねて徐々に独自のスタイルを作っていく。スタイルの模倣そのものは、クリエイティブではないが、クリエイティビティの基礎となる。本来長い時間をかけて行われるスタイル(「らしさ」)の確立。そのスタイルの確立が、ソフトウェアによって自動生成される。そのスタイルを統計の対象として表現し、これを利用して新しい連鎖(スタイル)の生成を行うアルゴリズムを開発するのが、パシェさんの研究である。
プレゼンのなかでは、その実験としてBeethoven No.9をBach Choraleや「ボサノバ」のスタイルに変換するために、データを収集、解析し、瞬時に自動生成してみせた。そして最後は、「ビートルズのPenny Lane風」である。
私たちが何気なしに認識している、ベートーベンらしさやバッハらしさ。ボサノバのテイスト。ビートルズのスタイル。その「スタイル」、画風、芸風に意味があり価値があり、クリエイティビティがある。彼の「作品」は、ヨーロッパで開かれる著名な人工知能学会のガラディナーなどで頻繁に演奏されるという。デジタルミュージックになり、アレンジが誰でもできる時代に、彼の研究の生み出す自動生成されたスタイル、新しい世代のコンテンツ生成ツールが、さらにどんな場で活躍するのだろうか? その先の未来をぜひとも体験してみたい。
セッションⅡのトークセッションの最後を飾るのは、このシンポジウムに華やかさを添えた「創造レシピ」のアレクシ―・アンドレさんだ。つい先だって、伊勢丹新宿店での、ISSEY MIYAKEとのコラボ「Colorscope - Omoiiro」を終えたばかりである。
「プロセスに価値がある」。
抽象的な概念でありながら、色パレットや実物のバッグを用いた視覚に訴えるプレゼンテーションは、わかりやすく訴求力がある。写真から瞬時に色パレットを生成し、その万華鏡のような無限の色パレットから、バッグを作る。デザインはISSEY MIYAKE。
人それぞれに大切にしている写真があり、思い出の写真がある。その写真からできた唯一無二の色彩のバッグはその人だけの物語をもち、写真とバッグの間に物語ができる。受動的コンテンツやモノに飽きた私たちには、その唯一無二の私だけの物語を持つバッグに価値を感じるのだ。アンドレさん曰く、「ものを作ることが自動になると無作為になり、ものを作るプロセスを作ることが作為になる。」価値は、そのものにだけではなく、レシピにあり、プロセスにもある。何を作るかではなく、どう作るか、あり方であり、美学であり、(茶道や武道でいう)「道」に通じる。そういう話が、日本語の上手なフランス人の口から聴けることが、驚きでもあり、一方で納得してしまう。
ちなみに、アンドレさんは、ソニーCSLの本ホームページのデザインも担当する。研究員それぞれに彼がつくったマークがあるのだが、それを模倣した飴が、このシンポジウムで配られていた。飴の発注をしたときに、「これを作ってほしい」というと難しいと言われたが、「こういう作り方をしてほしい」というとOKがでたという話は、象徴的でもある。芸術も情報を表現する一つの手段であるとするアンドレさん。テクノロジーは美的創作活動とその美意識をも拡張するツールになり得るのだ。
再び、セッションⅡのチェア暦本さんが、登壇する。
「ヒューマン・オーグメンテーション」。その裏テーマとして「人間とコンピュータが何が違うか?」「AIと人間は何が違うか?」がある。
最初に彼が投げかけた問いへのひとつ答えでもある「コンピュータは人間を超えるのか?」「それはもう、一部は超えているかもしれない。」そのことの是非は議論を待たず、それよりもそれをどうこの社会や地球で生かすか、人間のクリエイティビティの拡張に役に立てるは、所詮『人間』なのであるということが、よく理解できる。暦本さんは続ける。このコンピュータの進化により、「『人間って本質は何か?』ということがより深く議論できるのではないか?」
暦本さん、また、ソニーCSLの思想がより明確になる。
次回は、セッションⅡの最後に行われたパネルセッションと、研究所公開におけるデモンストレーションについてご紹介したい。
This article is available only in Japanese.