人と組織を支援する「タレントマネジメント」の専門家である(株)TM Future 竹内美奈子氏にソニーCSLに在籍する研究者を紹介する連載を依頼いたしました。研究やサイエンスの視点ではなく、ぐっと「人物」にフォーカスしてみると何が解明されるのか。竹内氏の視点から、解き明かしていただきます。
そして、最初に俎上に載るのは、代表取締役社長兼所長の北野宏明。
BLOG1: 2015.10.5
ソニーCSLにみる「北野流マネジメント」を紐解く
ソニーコンピュータサイエンス研究所(以下、ソニーCSLという)のGeneral Meetingに参加させてもらった。まず、レイアウトが印象的である。私自身は、会議やそのレイアウトはその会議のアウトプットと参加者に求めるスタンス、ひいては、組織文化を現わすと思っているが、ソニーCSLのGeneral Meetingのレイアウトは、まさに「体」を表す。「ランダム」でありながら全員が同じ方向を向いており、俯瞰してみると緩やかな扇型を描いている。各自の席は規則性がなく日によって違い、そして、そのリーダーである北野さんや所さんがおおよそ真ん中(要の辺り)にいるのだが、あっちを向いたり、こっちを向いたり、会議の間中くるくる回ったりしている。
ソニーCSLを、200文字で説明するのはとっても難しい。ましてやその所長であり社長である北野さんを200文字で表すのはほぼ不可能である。たぶん1000文字と言われても無理である。それだけ多様な顔を持つ北野さんそのものがダイバーシティでありBeyond Borders’ Actor(役者)なのである。
本ブログでは、多くのメディアで語られている研究者としての北野さんでなく、ソニーCSL社長兼所長としての北野さんにフォーカスしてみたい。いうならば、「ソニーCSLにみる『北野流マネジメント』を紐解く」というところだろうか。
ソニーCSLを、敢えて一言で表すなら「カオス」だといえよう。「ソニーコンピューターサイエンス研究所」という名称から想像される領域をはるかに超えた様々な分野の研究者が、個々の研究テーマを持つという意味で、まず「カオス」なのである。
「北野流マネジメント」その1.「カオス」でありながら、共通の価値観を持ち、「共有する問い」を設定する。
会議の話に戻そう。エネルギー、農業、ヘルスケア、人間拡張、システムバイオロジー、音楽と創造性、大規模データ解析、経済物理、インタラクション・・・と、一人ひとりが全く別の研究テーマを持ち個々のゴールを目指している研究者たち。そうでありながら、全員が集まるGeneral Meetingでは、メタ的に共通の価値観で「議論」がなされる。しかも、議論の最中に、メタ的・本質的な問いがメンバーから頻繁に飛び交う。「幸福とは何か?」「健康ってそもそも何だっけ?」。彼らの思考様式なのだろう。「本質を問う」「表面づらの言葉としての認知だけの危険性を疑う」ことが徹底している。
そこに北野さんが追い打ちをかけるように問いを投げかける。「日本の人口は何人がいいのか?」「2100年に5000万人がいいとすると今の延長線上にはないよね?」それを一人ひとりが自分の課題として「議論」できる人財が集まっている。と同時に、自分の研究だけでは解決できないことも知っている。多様でありカオスでありながら、共通の価値観や問題を共有している。会議室のレイアウトそのものだ。ランダムでばらばらなようで、問題設定を共有し、壮大な同一テーマに対し議論を大きく前に進めようとする。
この「問いの設定」が重要なのである。組織のコンセプトたるこの「問い」は、北野さん自身が設定されるわけだが、ここに一つの「CSL流=北野流」マネジメントがあるように見える。彼自身が、自分の投げかける問いが研究者たちの「内発的動機付け」を駆り立てることを知っているのだ。
ちなみに、10月に行われる「シンポジウム」では、「Global Agenda」と「Human Augmentation/Human Creativity」という問いの設定が昨年のニューヨークでのシンポジウムに引き続き今年も行われる。この「問いの設定」に、北野さん自身は七転八倒するのだそうだ。それ(「軸」を設定することであり、ソニーCSLの概念的な枠組みを設定すること)が、組織の方向付けであり、ばらばらな研究者たちの視線を一点に集めるという、彼の仕事なのだ。付け加えると、七転八倒といいながら、いかにも楽しげである。
「北野流マネジメント」その2.「議論」を共通のプロトコルとして、予想外の「パラダイムシフト」を歓迎する。
会議での議論は、あちこちに飛び、一人ひとりが自己の価値観や立ち位置から意見を言っているのだが、その会議のなかで、頻繁に「パラダイムシフト」が起きる。「そうはいっていたけど、本当はそうではないんじゃないの?」「話していたら全然違う話になっちゃったんだけど、そっちの方がいいよね。」ということがしょっちゅう起こる。北野さん曰く「そういう「引っくり返った」みたいな会議のときは『いい会議だったよね』ってみんな思ってるんだよね。」
研究という、ともすると「引きこもり」や「自閉症」的になりがちなサイエンティストたちは、「議論」という共通のプロトコルを通じて、自分達がよりよいもの、人ができないこと(それと世の中の役に立つことは、北野さんのなかで同義にみえる)に、ある時はドラステックに、非連続に、到達しようとしている。そのためには、立ち位置が違うものどうし、異分野どうしの「議論」が非常に重要なのである。それが、ソニーCSLの共通言語であり、組織文化である。
「北野流マネジメント」その3.個々のチャレンジや新しいアイデアを拾い上げる「メンター」となる。
もうひとつの会議の印象は「意外と緩い」ことだ。今秋に行われる「シンポジウム」の組立てを決めていく初期段階のGeneral Meetingだったせいもあるが、北野さんや所さんが「厳しい要求水準」を求めるのではないか?という私の予想は見事に覆った。北野さん曰く、「誰もが迷いながら、成果がでるかわからないものや不安定なアイデアを、こんなのでいいのだろうかと思いながらやっている。まだどんなピースがあるかがわからないところで要求水準を突き付けては、コンサバティブなアイデアしか出なくなるし、却ってチャレンジしなくなる。」「初期の段階では、どんなピースがあるかをみてみたいし、『研究は人だから』メンバーの潜在的なポテンシャルを潰さず引き出す、それが僕の仕事」。彼は、研究者が一歩を踏み出し、迷った時には羅針盤になり、山頂に向かう途上の高度計にもなる、変幻自在かつ最良の「メンター」なのである。
「北野流マネジメント」その4.研究者の自立を促し、「世の中に貢献する」「チャレンジに値するスケール感」という要求水準に対する整合を公然と行う。
「では、高い要求水準は求めないんですか?」「いやいや、やる時はとことんやるよ。」最終段階では、ソニーCSLを代表するプレゼンテーションとしてどうかを、とことん「議論」する。
「叩かれてそれで終わりではなく、自分で再生するような、自分で追いつめて自分で気が付くプロセスが大事なんだよね。自分のアピールでもあるからね。彼ら自身が自分にどれくらいのクオリティを求めているかを見るのも仕事。」それが、組織としての彼のクオリティーコントロールである。その求める水準とは、「世の中に貢献するか?」「時間軸やスケール感が大きなビッグストーリーか?」「事業やビジネス、ソリューションとして具現化しようとしているものか?(言い訳しないでやっているか)」「誰もやらないことにチャレンジしているか?」この要求水準には妥協をしない。研究者が自立して、自ら目標をたて進捗や品質を管理し研究を発展させていくこと、そしてその結果としての成果、それをとことん求めて、個々の研究やその姿勢に対して、皆の前でテーブルの上に載せ、「議論」する。
「何のため/誰のためにやっているのか?」「どこに行くためにやっているのか?」「登るべき山を定め、山頂を目指しているか?」「やっているうちに、登るべき山が変わってもいい。それはそれで拍手。だが、垂直登攀せずに、遊歩道を行っている(やれることだけをやっている)のでは、それは違うだろう」と厳しく指摘する。
ここに拘りがあり、研究者一人ひとりの姿勢を厳しく問うが、彼らがチャレンジしようとする種を拾い上げ、「自ら」道を切り開くための「メンター」となる。彼ら一人ひとりが自立し、自らチェック機構となれることを前提とした、全体としてのクオリティーコントロールを行う。それを、このカオスの「チーム」の面前で、一人ひとりに対して公然とやりのけてしまう。「シンポジウム」検討の後半戦に入り、その場面を何度か拝見したが、顔は笑っているがなかなか辛辣である。
それ全てが、北野流なのである。 (後半につづく。10月13日公開予定。)
This article is available only in Japanese.